人物
長崎県大村市に生まれる。生まれた時代は、いわゆるY世代でバブル崩壊後、ソ連崩壊の時代である。
出生時、非常に低い確率で発生する疾患、胎内で形成されていく過程で、神経管の閉鎖不全によって、頭蓋の内容(内部)の一部が頭蓋外へ脱出し嚢胞を形成した状態。髄膜瘤(先天性髄膜瘤)を患い、超低体重出生児(未熟児)として、女男の二卵性双生児の2番目で生まれる。生まれたときから現在まで完全右脚ブロックを患う。
出生直後は、稀な疾患であることから国立病院長崎医療センター(現在:独立行政法人国立病院機構 長崎医療センター)で入院をし、切開手術などの医療処置が継続的におこなわれた。(同病院の医療情報開示調査による)
この手術の時に切開された手術跡(6cm前後)が、現在でも後頭部に大きく遺っており、これを隠す為に平時においては髪を伸ばし、更に、傷跡が見えないように整髪剤を使用している。しかし、心的トラウマから基本的に平時は、四季や場所に関わらず帽子を被っている。
この手術跡が主な原因で、過去にいじめや迫害等を受けていたが、その事は基本的に伏せられていた。
幼少期から少年期は、控えめな性格であったようである。また、病弱であり、苦悩を抱えてきたが、誰にも言えないような劣悪な環境であったようである。この頃からの経験が起因して、いじめや暴力、暴言を嫌悪するようになったようで、優しさを尊重するようになったようである。
少年期には、いじめが起因し、自分が置かれているその場の環境には、その環境が義務である場合(学校等)は、必要以上の興味を示さず、むしろ、その環境が全てか。などの環境に対する疑問を抱いていたようで、自分が置かれた環境より他(外)の環境に、興味をもつことが多かったようである。
20代初期の頃、幼少期から実の兄弟のような存在であった従兄弟が急死。同時期には親族との関係が複雑化し、現在は疎遠である。体調などの悪化などもあり、苦悩を抱えるが、結果として死んだ従兄弟が生きたかった未来を“少しでも良いものにしたい”と考えるようになる。また、この頃すでに調べ物好きが転じて、頻繁に講習や講座などを受けていた。
2022年の30歳を過ぎたころ、それまでの生活の再スタートとして、また自身と死んだ従兄弟Sの故郷である長崎県大村市に再転入した。この頃は周囲から政治家に推挙されていたが断り続けていた。しかし、周囲からの説得で様々な記録を残すようになった。
ひとりの時間を好む傾向があるが、多人数でも愉しむようである。絵を描くこと、調べ物をすることを昔から好み、現在でも絵を嗜み、画風はポップから油絵、水彩画、人物画など様々である。他、何かを作る(造る)ことを嗜む。車に関すること。建築に関することを特に好む。周囲からは自動車や二輪車愛好家として知られており、ジャンルは幅広く、特にクラシックカーを好む。また、メカニック分野から板金塗装やカスタム分野などにも精通している。ほか、彫金、革製品つくり、アクセサリー、家具、精霊船などのデザインから製作に精通し、洋服やバッグなどに関しても、新品を購入したことはほとんどなく、安価な中古品を自身に合うように裁縫などの方法で補正しなおしたりし、一から作成することも行う。ただし、型紙などを参考にせず、自分で設計から型紙起こしから行うようである。
食生活は、いわゆる一日一食主義で、質素である。みそ汁があるだけで豪勢だとして喜ぶという。そして、一日を通して食べない時もある。
基本的に果物を食べない。一般的な家庭料理や魚料理も食べない。寿司に関しては、ほとんどがネギトロしか食べない。
お酒の類は大いに好むようであるが、普段は控えているようである。いわゆる交友関係等での機会飲酒は行う。しかし20代の頃は、誘われても、基本的には行かなかったようである。ただし、コーヒー(特にブラック)を好むので、これはよく飲むようだ。